大阪地方裁判所 平成5年(ワ)11252号 判決 1995年11月15日
第一事件原告
鈴木健二
外六名
右七名訴訟代理人弁護士
松本俊正
第二事件原告
鈴木宏
第一事件及び第二事件被告(以下単に「被告」という)
阿曽康彦
主文
一 被告は、第一事件原告らそれぞれに対し、金七七万二五〇五円及び内金七〇万二五〇五円に対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、第二事件原告に対し金七〇万二五〇五円及びこれに対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 第一事件原告らの被告に対するその余の請求、第二事件原告の被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は第一事件第二事件を通じ、これを七分し、その五を第一事件原告らの、その一を第二事件原告の、その余を被告の負担とする。
五 この判決は第一項、第二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告ら(以下第一事件原告ら及び第二事件原告を合せて原告らという)の請求
一 第一事件
被告は、各原告に対し、金五一九万七一一九円及び内金四九九万七一一九円に対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 第二事件
1 被告は、原告に対し、金九〇二万四五六八円及びこれに対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告に謝罪せよ。
第二 事案の概要
本件は、道路を横断中被告運転車両に衝突され死亡した者の遺族が、被告に対し、民法七〇九条に基づいて損害の賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実など(証拠及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実を含む。以下( )内は認定に供した主たる証拠を示す。)
1 事故の発生(争いがない)
① 日時 平成二年一一月二八日午前三時五〇分頃
② 場所 豊中市服部寿町一丁目一一番先路上(府道内環状線)
③ 加害車両
被告運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という。)
④ 事故態様 鈴木こなみが乳母車を押しながら徒歩で右道路を北から南に向かって横断歩行中、同道路を西から東に進行してきた被告車と衝突(以下「本件事故」という。)
2 鈴木こなみの死亡(死亡の事実は争いがなく、その余の事実は甲一、二による)
鈴木こなみ(以下単に「こなみ」という。)は、本件事故に基づく傷害の結果、平成二年一一月二八日午後一時三二分死亡した(死亡時八二歳)。
3 原告らの地位(弁論の全趣旨)
原告らは、いずれもこなみの子であり、その相続分は各八分の一である。
4 損害の填補(争いがない)
原告らは、被告本人から一〇〇万円、自賠責保険から一二五四万九七〇五円、合計一三五四万九七〇五円を受け取った。なお、弁論の全趣旨により、右填補額は相続分に応じて填補されたものと認める。
二 争点
1 事故態様、過失相殺
(一) 原告らの主張の要旨
被告は、酒気を帯びたうえ法定制限速度をはるかに上回る時速八〇キロないし九〇キロメートル余りで被告車を進行させたうえ、横断中のこなみに気付くのが遅れたもので、しかも被告は道路のセンターライン付近あるいは反対車線に侵入して走行し、同地点でこなみに衝突した。
(二) 被告の主張の要旨
深夜、歩行者横断禁止場所である幹線道路を横断していたこなみの過失も本件事故に対する多大の起因要素になっており、少なくとも五〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。
2 損害額全般 特に慰謝料、年金の逸失利益性
慰謝料についての原告らの主張の要旨
前述の被告の過失態様や結果の重大性に加えて、被告はこなみと衝突した直後に一旦停止し、事故を起こしたことを覚知し、乳母車を見て赤ん坊がいるかも知れないと思いながら、その救助や被害者の状態を確認すらせず、「事故が発覚すると自分の仕事に差し障りがある。」と考え現場から走り去っている。また、その後被告は自分に捜査の手が及んでいることを知るや、被告車のナンバープレートやサイドミラーを取り外し、被告車を山中に捨てる等の悪質な証拠隠滅工作をなしたもので、原告らは右事実を知り、強い精神的苦痛を受けたものである。
第三 争点に対する判断
一 争点1(事故態様、過失相殺)について
1 証拠(甲三ないし二六、被告本人)及び前記争いのない事実を総合すると次の各事実を認めることができる。
① 本件事故は、別紙図面のように、東西に延びる幅員約二一メートルの直線道路とこれに南北に交わる道路によってできた交差点の東側路上におけるものである。右交差点の西側には歩車道の区別があるが、交差点の東側ではこの区別がない。右交差点東詰めには横断歩道橋が、西詰めには横断歩道が、それぞれ設けられており、交差点東側は横断禁止の規制がなされている。右東西道路の周辺は団地及び民家が密集した住宅地であり、最高制限速度は交差点の東側において、時速四〇キロメートル、西側において五〇キロメートルである。なお、事故当時の天候は小雨であり、路面は濡れていたが、水たまりができるほどではない(特に甲三ないし五、一一、一二)。
② 被告は、スナックでウイスキーの水割りを飲酒の後、本件事故現場付近を時速約六〇キロメートルから七〇キロメートルの速度で、前照灯を下向きにして、被告車を西から東に走行させていたが、別紙図面①地点において、信号が青を表示しているのを確認のうえ、②地点まで進行したところ、約三四メートル前方の付近において黒いものが動いているのを認めたが、そのまま進行し、③地点において、約二〇メートル前方の点付近にあるのが横断中の人であることを確認し、急制動の措置を採ったが及ばず、同図面④地点において、点で乳母車を押しながら道路を横断中のこなみ(当時八二歳)に被告車右前部を衝突させ、同人を路上に転倒させ、よって同人に骨盤骨複雑骨折の傷害を負わせ、右傷害に基づく出血性ショックにより同人は死亡した(特に甲一〇ないし一四、二五、二六、被告本人)。
③ 右事故現場付近は水銀灯が設置されており、深夜においても比較的明るく、東西道路の西方から東への見通しは良好である(特に甲三ないし五、一一、一二)。また、下向きにした前照灯による照射だけによっても、32.8メートル前方に立つものを人と識別できる(特に甲二一)。
2 なお、原告らは、プラスチック片及びガラス片が落ちていた場所及びこなみが倒れていた位置と衝突状況から、本件事故の衝突地点はセンターラインより南側であると主張している。証拠(甲三、四)によれば、こなみの倒れていた位置及び被告車の一部と推認できるプラスチック片、ガラス片が落ちていた位置がいずれもセンターラインの南側であることは認められるが、衝突時の運動を正確に把握することはできず、原告らが主張するように、被害者が衝突後回転したり車に引きずられたりするだけで、南側に跳ねとばされることはあり得ないことかについては疑問が残り、直ちに衝突地点がセンターラインの南であったと断言することはできない。衝突地点がセンターラインの北側であったことは、被告のみならず目撃者たる稲垣昌孝の供述調書(甲一一、一二)においても述べられているところであり、もう一名の目撃者たる福家俊士の供述(甲一〇)もその全体をみればやはり衝突地点はセンターラインの北側であることを認める内容である。
3 右1において認定した事実によれば、被告には前方注視義務違反と大幅な速度違反の過失があり、しかも図面②地点において動いている物体を発見したのであるから、その時点で急制動の措置をとれば、かような重大な結果を招くことはなかったと推認でき、このような運転態度をとったのは飲酒が影響を及ぼしたのではないかとも推察できるもので、被告の過失は重大である。他方、こなみにも、対面信号が赤信号であるにもかかわらず、交差点付近の道路を横断した過失があり、右過失の内容を対比し、前記道路状況、こなみの年齢等の事情を考え併せた場合、被告の過失七に対しこなみの過失は三と考えるのが相当である。
二 争点2(損害額について)
1 家事労働分(請求 原告ら三六三万二三六六円)
証拠(原告鈴木義美本人)によれば、こなみは事故当時八二歳のほぼ健康な女性であり、昭和四九年に夫が死亡してからは娘である原告鈴木義美と同居しており、株売買による収入、年金で生活を支え、買い物等の家事労働をしていたことが認められる。しかし、鈴木義美も健康であり、こなみが一定の範囲内で家事労働をしていてもそれが自分自身の生活の維持に通常伴う家事労働を超えていたものかは疑問がある。また、こなみは本件事故当時八二歳であり、若年者、壮年者の労働可能年数が通常六七歳とされていることの対比から考えても、こなみがなしていた家事労働は逸失利益として法律上評価しなければならないような性格のものとは考えられない。
2 年金分 一三八万五三五九円(請求 第一事件原告ら四八七万九一九七円、第二事件原告一〇〇〇万六九七六円)
証拠(甲二九、三〇、原告鈴木義美本人)及び弁論の全趣旨によれば、こなみは本件事故当時、昭和六〇年改正前厚生年金保険法に基づく老齢年金につき年額五八万九六一五円、同法に基づく遺族年金につき年額八九万一四八八円を各受給していたことが認められる。
右各年金につき被告はその逸失利益性を争うのでこれについて判断するに、老齢年金は、一定の稼働上の地位にあったこと及び右稼働状態・稼働能力を反映している保険料の払込を前提として給付されるもので、当該受給権者に対して稼働能力の減退に対する損失補償ないし生活保障を与えることを目的とするものであるとともに、その者の収入に依存している家族に対する関係においても、同一の機能を営むものと認められる。他人の不法行為により死亡した者の得べかりし同年金は、その者の死亡時における稼働能力の評価と直接結び付かないとはいうものの、その性質上稼働上の地位や過去における稼働能力と密接不可分の関係にあるものとして、逸失利益性が肯定でき、相続人が相続によりこれを取得し、加害者に対してその賠償を請求することができものと解するのが相当である。
これに対して、遺族年金は少なくとも受給権者自身の労働対価性や保険料の払込対価性がないものと言える。もちろん、遺族年金は老齢年金等の転化したものとも考えられるから、一定限度で右対価性は維持されてはいるものの、遺族年金受給権者の死亡によりさらにその遺族としての年金の受給権が法律上認められていないことを考えると、受給権者個人の生活の維持という社会保障的性格が強い。婚姻によってもその受給権が消滅することも、遺族年金の社会保障的性格が強いことを根拠とするものであると考えられる。
したがって、遺族年金は、老齢年金と純粋な生活保障制度例えば生活保護の給付金の中間的な性格を持ちながらも、後者により近いものであって、生活保護の給付金が受給権者の所得を構成し、その家族の生活保障の役割を果たしていたとしても、その逸失利益性が肯定できないのと同様、遺族年金の逸失利益性を肯定することはできない。
更に、遺族年金がその性格上本来的には逸失利益性を肯定できると仮定しても、前記の婚姻による受給権の消滅の制度からして、その存続の確実性には疑問があり、受給金額の認定が不可能であるから、損害としては評価できない。最高裁平成五年三月二四日大法廷判決が、退職年金受給者の死亡による逸失利益の算定につき、口頭弁論終結時において支給を受けることが確定していない遺族年金の額を控除していないのは、同年金の存続上の不確実性を根拠としたものと考えられる。
結局、法的性格、存続の確実性といういずれの観点からみても、遺族年金の逸失利益を求める原告らの請求は理由がない。
3 以上から、逸失利益としては、前記老齢年金の喪失に限られるもので、その場合、前記こなみの生活状況や年金の多くが自己の生活の維持にあてられるのはその性質上明らかであるから、生活費控除率は、六〇パーセントとするのが相当である。また、平成四年簡易生命表によれば、八二歳の女性の平均余命は7.69歳であるから、こなみは本件事故に遭わなければ、少なくとも七年間は同年金を受給することができたものと推認できる。そこで、ホフマン方式により七年に相応するホフマン係数5.874を基礎に、本件事故時の逸失利益の原価を計算すると、一三八万五三五九円(58万9615円×0.4×5.874・円未満切捨、以下同様)となる。
4 慰謝料 計二五〇〇万円
(請求 第一事件原告ら
相続分 二〇〇〇万円
原告ら固有の分 各三〇〇万円
第二事件原告 相続分二八〇〇万円
原告固有の分 五〇〇万円)
証拠(甲一三ないし一六、二二ないし二六、被告本人)によれば、被告は本件事故直後一旦停車し路上に横たわる被害者の姿を確認し、また乳母車を見て赤ん坊がいるかも知れないと思いながら、飲酒運転が発覚するのを恐れるとともに、事故が発覚した場合自分の仕事に差し障りがあると考え、同乗者の「被害者を救助するように。」との頼みを無視して現場から逃走した。その後、被告は自分に捜査の手が及んでいることを知るや、被告車を和歌山県と三重県の県境方面まで運転し、被告車のナンバープレートを取り外してこれを遺棄隠匿し、被告車を放置したことが認められる。右事実を知った原告らの憤りや悲嘆の大きさは察するに余りあるものであり、右各事実及び本件事故の態様その他本件審理に顕れた一切の事情を考慮した場合、こなみの慰謝料として一七〇〇万円、原告ら固有の慰謝料としてそれぞれ一〇〇万円を認めるのが相当である。
5 葬儀費用 一〇〇万円
(請求 第一事件原告ら一〇〇万円、第二事件原告四〇四万六九一〇円)
弁論の全趣旨によれば葬儀費用は原告らが均等に負担したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係のある葬儀費用は一〇〇万円と認める。
6 治療費(請求 原告ら一万五一〇五円)
立証なし
第四 賠償額の算定
一 第三の二の3ないし5の合計は、二七三八万五三五九円である。
二 右金額に前記第三の三において認定したこなみの過失割合を差し引いたものを乗じると、一九一六万九七五一円(2738万5359円×0.7)となる。
三 右金額から前記第二の一の4の損害填補額一三五四万九七〇五円を差し引くと五六二万〇〇四六円となり、これを八(相続人八名)で割ると、七〇万二五〇五円となる(なお、右各計算方法は葬儀費用の負担と損害填補の分配が各相続人間で均等になされたことを前提とする)。
四 弁護士費用
第一事件原告各七万円(請求 第一事件各原告二〇万円)本件事件の内容、審理経過、右三の金額等一切の事情を考慮すると、第一事件の原告らが同原告訴訟代理人に支払うべき弁護士費用の内、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用として被告が負担すべき金額は各原告につき七万円と認められる。
五 前記三の金額に右額を加えると、計七七万二五〇五円となる。
したがって、第一事件原告らの被告に対する請求は、各原告について、七七万二五〇五円及び内金七〇万二五〇五円に対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。
また、第二事件原告の被告に対する請求は、七〇万二五〇五円及びこれに対する平成二年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。
なお、第二事件原告の被告に対し謝罪を求める請求は、生命侵害による不法行為において民法の予定するところではないので、理由がないものとしてこれを棄却する。
(裁判官樋口英明)
別紙<省略>